句集のビブリオグラフィー

どの句集を読むか。

情報源としては、各種(総合/結社/同人)誌の書評欄がよく挙がる。あるいはアンソロジーから作家、さらには句集に行き着く。評論が入り口になることもあるか。身近な人々のおすすめや恵投。大きな賞に選ばれた一冊。好きな作家の新著。そしてもちろん、書店や図書館を冒険して巡り会う本。

 

ここはもう花野といへぬ花の数

『香雨』(片山由美子、ふらんす堂、2012)より。初めて自分で買った本格の句集なのだが、特段理由があったわけでもなかった。学校の帰りに栄地下街のジュンク堂を訪れ、棚を物色する中で、この一冊になんだか波長の合うような感じがした。ぼんやりと、高校一年の二月であった。

生きてゐるうちもつめたき海鼠かな

『片白草』(大西朋、ふらんす堂、2017)より。後輩に貸すと良さそうな本を手元から選書したことがあった。『香雨』・『片白草』・ 『遅日の岸』(村上鞆彦、ふらんす堂、2015)『未踏』(高柳克弘、ふらんす堂、2009)などであって、一人に一冊を四人だか五人に貸し与えた。私は、物の貸し借りのみならず、返してもらうのも妙に苦手なので、特に期限を設けずにいたところ、ようやく帰ってきたのは自分の卒業の間際であった。それで構わないから期限を定めなかったのである。

晝ながら天の闇なり菖蒲園

『定本 凍港』(山口誓子東京美術、1975)より。高校の時は同時代の作家ばかり読んでいたが、東京の大学生の身分を得ると、古書店を参詣して世代を遡るようになった。神田をはじめ、関東の古書籍商業の隆盛は凄まじく、さらに今は(別に首都とは関係なく)「日本の古本屋」などのオンラインストアも充実している。手段が現れ、目的が生まれた。その中の一句とか作家は聞いたことあるけどあんまし読んだことないな、的な、いわば境界面の句集の濫読をもっぱら志して今に至るのである。

 

八月に入り、仮庵から三河の生家に帰ってきて、久々に『名句集100冊から学ぶ俳句発想法』(ひらのこぼ、草思社、2011)を繙いた。キュレーションへの関心である。

高濱虚子の『五百句』に始まり成田千空の『地霊』に果てるこの本の内容は、上梓当時までの俳人百人一冊を並べ立てた試食会であるのみならず、「俳句の基本」「骨法」などとよくいわれる情報の宝庫であって、昔は大変よく読んだものだが、肝心の俳人の名前、句集の題はそんなに覚えていなかったらしい。よそで聞いたことはあっても、この本で知った心当たりのないのが大半である。たぶん抽象的なことにしか意識が行っていなかったんだと思うけど、勿体ないことをしている。とりあえず東京に持っていって、なんか読みたいのがあるかどうか、簡単に参照できるようにしておこう。この記事はそういうことなのでした。

先にも興味を述べたが、いまの自分にとってこの本は、読んで表現を云々するというより、むしろ百冊のビブリオグラフィーとして楽しめるものではないかと思う。紹介される句集には、金子敦『砂糖壺』、黒田杏子『日光月光』、皆吉爽雨『雪解』、相馬遷子『山国』、八田木枯『鏡騒』、土肥あき子『夜のぶらんこ』など。句の引用も豊富なので、読みたい本を探している方にはぜひ手にとってみてほしい一冊。どの本も簡単に手に入るという保証はないけれど、もし出会いがあれば、折角だから図書館なり古本なりを当たってみましょう。

 

ちなみに同様の句集のスクリーニングの例として、『覚えておきたい極めつけの名句1000』(角川学芸出版編、角川ソフィア文庫)のコラムを挙げたい。「読んでおきたい昭和・平成の名句集」と題し、久保田万太郎『道芝』から飯島晴子『寒晴』までの三十四句集を五回に分けて紹介している。編年体なので虚子の登場の少し遅いのがなんだか微笑ましい。『凍港』、橋本多佳子『紅絲』、三橋鷹女『羊歯地獄』、寺山修司『花粉航海』など。東京にいるあいだはこちらを参考に古書を見繕っていた。

『俳句』二〇一三年十二月号(角川学芸出版)には、俳人三百名へのアンケートに基づく「平成の名句集ベスト30」という企画があった。言ってしまうとかなり機械的な選出なのだが、選書とは独立ながら筑紫磐井・小林貴子・櫂未知子による特別鼎談が加えられ、どうあれ血が通っている。ここには飯田龍太『遲速』、宇多喜代子『象』、正木ゆう子『静かな水』、田中裕明『夜の客人』などが見られるほか、特集の末尾を窺うと、得票だが三十を洩れたと見られる百五十冊までもが掲載されている。雑誌や年鑑をメディアとしたこのようなノミネーションは、規模や趣旨を変えながら数多く試みられている。どれも一見の価値があろう。

加えて、『昭和の名句集100冊』なるシリーズについてもメモしておく。千代田葛彦らの編集のもと、梅里書房から九十三年以降に刊行されたというが、自分自身あまり調べることができていなくて、軽い言及にとどめたい。少し調べてわかる範囲では、富安風生『草の花』、長谷川かな女『龍胆』、後藤夜半『翠黛』、星野立子『立子句集』など。一巻、二巻、三巻、急に飛んで十二巻しかろくにヒットしないのが気がかりだが、古本屋には結構流通していそうで、近く手に取りたいところである。

 

なお当然ながら、句集の選出に際しては、目的や基準、照らし合わせての適正さが常に問われ、偏向も暴かれる。いずれのキュレーションも、読者として無批判に受け入れるわけにはいかないし、選者として無節操に創り出すものではない。取り急ぎ消費的な立場を自覚するならば、自分が選ぶならばどうか。選ばれなかった句集に目を向けてはどうか。そういった問題意識、ひいてはできるかぎり独力で句集を選ぶ・読む・評することへの意志を、余裕があるならば必ず念頭に置きたい。ビブリオグラフィーは、選ぶことについて、原野に導かれるまでの補助輪に過ぎない。