独白――霊性について

霊を感じる絵が好きだ。たんに消費的に描かれたのではない,その人物あるいは物体を観察し,尊重して,自立を描く,霊のある絵が。

写実ということは,その霊と呼ぶものについて,一の連関なんじゃないかと思うことがある。デッサンの狂っている絵は,もちろん多くの画家は死力を尽くすのだろうけども,霊を毀損することがある。ぎゃくに,写実の意識などなくても,霊さえ感じられれば,私にはそれでよいのだ。霊を研ぎ澄ますために,写実を離れることはあってよいのだ。

美は霊性の条件ではない。うつくしくないものにも,うつくしいものと同様に,霊がある。人間がそうであるように。人間は,その醜美をとわれるまでもなく,霊を宿しているだろ。だからルッキズムは好きじゃない。

ずっと,自分が「霊性」とよぶものの正体がふしぎだった,霊性,おれがほんとうの意味で人や物を好きになるというとき,おれが好きになっている,愛している,しかしその人や,物の,ありとあらゆる一部とはけっして符合しえない,その「霊」とは!

かれはひとり人間のみに宿るものでなく,おれの見る万象にある。霊とはなんなのか,わからない,わからぬから書けない,だが,書けないから解らないのだ。霊を描け。おれは霊を描いて,霊についても書くのだ。批評しろ。批評は霊と美を確かなものにする。霊の輪郭!

霊とは人間的なもの,動物的なもの,植物的なもの,主体やいのちのあるものを撰ばない,それは創作家の信念によって,えがかれうる万象に宿るのだ。存在するすべてのものへの霊の有無などはわからない。しかし,描かれるもの,描かれうるものは,その霊を得ている。創作家は霊を研磨せねばならない。

ゆいつおれが霊を感じられない人間は,ただおればかりだ。おれの霊はどこにあるのか。そう,霊はまなざしがみいだすものだ。おれがおれであるかぎり,おれが真におれをまなざすということはありえないのだ。おれの霊は,おれには諒解できないのだ。だからおれを,    ,と,思う。